上京。

久し振りに上京してきました。

用事があっての日帰りでした。

とんぼ返りって、

ある意味では贅沢ですよね。

その用事のためだけの移動。

その行動が、その用件が、

自分にとってどんな意味があるか、

どれだけ大切なのか。


ひとつ、

それは確信したことだったし、

ひとつの成長かと。

でも、まだ全然足りないんだよなぁ。

それも、痛感。


東京は好きな街。

また、行こう。

うしろめたさの人類学

うしろめたさの人類学

うしろめたさの人類学


暑すぎます…あおねぎです。

読書、進めております。


日々のちょっとした、

違和感やざわつきに対しての

ヒントみたいなものが書かれている本ですね。


あいさつがある職場ない職場、

いろいろあると思います。

いまの職場では、

あまりあいさつがありません。

私には違和感がありまくるのですが、

プロパーで居る方々には

フツーのことのようで、

全く落ち着きません。


そこに人が居んのに反応しない、って、

単純に気分悪くないんかなーって

思うんですけど…


まぁ、

私も余分なパワーは使いたくないので、

自分なりのスタンスで居ますけど。


ちょうど、

そういうモヤモヤを抱えていたので、

とても共感する一冊でした。


日本と海外の違い。

日本では、

人やモノの配置や関係によって生じる

「感情」というものの増幅を最小限であるように、

社会が設計されています。

私達はとにかく、

感情をうまく扱えなくて、

感情を動かさないことに躍起になっている。

感情が動いてしまうと、

いろんな厄介があるから。

エチオピアでの人々の生活ぶりを読んでいると、

私たちが、うまく扱えないものと、

彼らの方が軽やかに当たり前に、

共存しているようにみえる。

どちらが良いという話ではありません。

さまざまな不便と、

不安定でひどく面倒な、

ひととひととの関係と、

それらとずっと暮らしていく

彼らの生活に、

諸手を上げて賛成したいわけでもない。

でも、と感じてしまう。


こういう違和感は、

けっこうずっとあったような気がするし、

日本に住む限りはあり続けるのかもなーと思う。

私は外国人と話す機会もあって、

あるからなのか、

彼らが、

当たり前だけど、

日本人とは明らかに違っていて、

決して経済的に裕福ではないはずなのに、

ずっと軽やかだと感じる。 


自分が今まで正しいと思っていたことが、

そうではないのかも、

と再考することが多くなった。

し、

その結果、まあまあ人とは違う行動もとることになった。


そうなんだよなぁ…


この本、読んでよかったです。


四月になれば彼女は。

四月になれば彼女は

四月になれば彼女は


なんというか。

昨秋から

たくさんのことが私に押し寄せまして、

ブログを放置しておりました。

その日々もようやく落ち着きつつあります。

感情は揺れますし、

やはり、

私を取り巻く環境や条件は変わったと

言わざるを得ない訳ですが、

回復しつつあり、

少し文章を書きたいなと思い、

ブログを開きました。


このブログの空白期間にも

ここを訪れてくれる方がいらしたようで、

ありがとうございます。


これを機に、

いくつかの記事を削除しました。

ごめんなさい。


さて。

久々に、読書をしました。

思い返してみると、

年単位で本を読んでいないなと、

今年の初めに思いました。

なにかが足りない…ということが、

ふと、意識に上った次の瞬間に、

思ったことでした。

また、

インターネット上の、記事や文章は読める、でも、

本のように、まとまった、ある程度のボリュームのあるものを読めなくなっている気がしていました。

とりあえず、軽めな小説を、と思い、

手にしました。はい。


ほんとうに久し振りに、

恋愛小説を読みました。

あまり海外に行ったことのない私ですが、

この小説に出てくる各所は、

それぞれステキなモノやひとや景色で立ちあらわれてきて、

行ってみたくなりました。

チェコプラハとかね。

まぁ、なんと言っても、

ウユニ塩湖だけどね。


私自身はネタバレが平気な方なので、

知らぬ間にネタバレしている、

という不注意があるので、

お気をつけください。


喪失、というのは、

いつも、私たちのテーマです。

生きていれば、

私たちは多かれ少なかれ、

なにかを失う、という体験をします。

それは、きっと、避けられない。

モノやひとを失う、という体験を通して、

私たちは、自分の一部を失っていく。


でも、なにかを失ったとき、

私たちはなにかを、得ている。

それも、避けられない。

だから、残されたものは、

やはり、生きなければならない。

それがどんなに辛いことでも。

日々をなんとか生きのびて、

また出会うものたちに、

心を揺らして、

揺らさなくとも、

少しずつ、それぞれを分け合って。

それらは、

以前、失ったものと共にあったものとは、

違うかもしれない。

でも、

間違いなく、

いまの自分が存在しているのは、

その以前、があったからだ。


強い想いでなくていい、

派手な、煌めいたものでなくていいのだ。

たしかに、

それらは在ったと、

やわらかくあたたかな、

手触りが、自分の中にあれば、

それで充分なのだ。


ハルが、

過去から大切なものを見つけていこうと思ったこと、

悲しい気持ちと、幸せな気持ちは、

どこか似ている、と書いたこと、


そうだよなぁと思います。

私も、きっと、そうするだろうと思うし、

それぞれの全く違うように綴られる気持ちを似ていると感じることにも、

深く頷きます。


また、

登場人物のなかでは、奈々が好きです。


仕事はそこそこに、

しばらくは

ゆっくりと読書の時間を取りたいと思っています。