四月になれば彼女は。

四月になれば彼女は

四月になれば彼女は


なんというか。

昨秋から

たくさんのことが私に押し寄せまして、

ブログを放置しておりました。

その日々もようやく落ち着きつつあります。

感情は揺れますし、

やはり、

私を取り巻く環境や条件は変わったと

言わざるを得ない訳ですが、

回復しつつあり、

少し文章を書きたいなと思い、

ブログを開きました。


このブログの空白期間にも

ここを訪れてくれる方がいらしたようで、

ありがとうございます。


これを機に、

いくつかの記事を削除しました。

ごめんなさい。


さて。

久々に、読書をしました。

思い返してみると、

年単位で本を読んでいないなと、

今年の初めに思いました。

なにかが足りない…ということが、

ふと、意識に上った次の瞬間に、

思ったことでした。

また、

インターネット上の、記事や文章は読める、でも、

本のように、まとまった、ある程度のボリュームのあるものを読めなくなっている気がしていました。

とりあえず、軽めな小説を、と思い、

手にしました。はい。


ほんとうに久し振りに、

恋愛小説を読みました。

あまり海外に行ったことのない私ですが、

この小説に出てくる各所は、

それぞれステキなモノやひとや景色で立ちあらわれてきて、

行ってみたくなりました。

チェコプラハとかね。

まぁ、なんと言っても、

ウユニ塩湖だけどね。


私自身はネタバレが平気な方なので、

知らぬ間にネタバレしている、

という不注意があるので、

お気をつけください。


喪失、というのは、

いつも、私たちのテーマです。

生きていれば、

私たちは多かれ少なかれ、

なにかを失う、という体験をします。

それは、きっと、避けられない。

モノやひとを失う、という体験を通して、

私たちは、自分の一部を失っていく。


でも、なにかを失ったとき、

私たちはなにかを、得ている。

それも、避けられない。

だから、残されたものは、

やはり、生きなければならない。

それがどんなに辛いことでも。

日々をなんとか生きのびて、

また出会うものたちに、

心を揺らして、

揺らさなくとも、

少しずつ、それぞれを分け合って。

それらは、

以前、失ったものと共にあったものとは、

違うかもしれない。

でも、

間違いなく、

いまの自分が存在しているのは、

その以前、があったからだ。


強い想いでなくていい、

派手な、煌めいたものでなくていいのだ。

たしかに、

それらは在ったと、

やわらかくあたたかな、

手触りが、自分の中にあれば、

それで充分なのだ。


ハルが、

過去から大切なものを見つけていこうと思ったこと、

悲しい気持ちと、幸せな気持ちは、

どこか似ている、と書いたこと、


そうだよなぁと思います。

私も、きっと、そうするだろうと思うし、

それぞれの全く違うように綴られる気持ちを似ていると感じることにも、

深く頷きます。


また、

登場人物のなかでは、奈々が好きです。


仕事はそこそこに、

しばらくは

ゆっくりと読書の時間を取りたいと思っています。